春の里山 西竜王山 建治寺 神山森林公園さくらウォーク  2010/4/11
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− 建治寺経由で西竜王山そして「さくらウォーク」を楽しむ −

建治寺(こんじじ)への遍路道は修験の道だった。

昨日は、タカガワ東でゴルフだった。

正面に見える西竜王山の斜面にはヤマザクラが素晴らしいグランデーションを見せていた。

何故か中津峰山に行きたがる家内を説得して建治寺経由で西竜王山に行くことにする。



サンピアの入り口を過ぎたところのサンクスで食料調達

車も停めさせていただいて出発。

何しろ建治寺に向かう途中は道が狭いため車を停める場所が厳しい。

8時25分出発

鮎喰川に沿って歩いて行く。

こんな所に「府中殿遺跡」の石柱が立っている。

車では幾度無く通っているが、今まで気がつかなかった。

国府町なら解るが入田町に「国府」の遺跡があるとは?



季候が良い頃なので歩き遍路が多い。

皆さんと挨拶を交わしながら歩く。

最近若い女性の遍路を多く見かける。

今朝会った女性も綺麗な人だった。



遍路休憩所ではおばちゃんが接待の準備中。

此処まで焼山寺から28q

遠いなあ..



入田小学校ではゲートボール中?

此処に駐車できれば近くて良いのだけれど..

月の宮ゴルフ場からの分岐を過ぎて郵便局の向こうに「奥の院、建治滝」の立派な標識。

以前此処から入って途中で道が解らなくなった。

今日はこの先の新道から登って帰りにここらに下りてくる予定。



古い道祖神も残っていてる



畑の中に古い宝印搭。その向こうの西竜王山の中腹に建治寺が見える。

昔はこのあたりから遍路道があったのかも?



黄色い建治寺の看板から左へと入る。

此処の地名は「天の原」

「高天原」と人里との中間とか..



?の古木の根元には古い標石が並んでいる。

寛文12年の文字が読み取れる

1672年、今から350年前、徳川家綱の時代。

阿波では蜂須賀 綱通(はちすか つなみち)が旧吉野川と現吉野川を繋ぐ水路を開削して第十堰の元を造った年だ。

建治寺は天正時代(約430年前)には阿波藩主蜂須賀公祈願所として栄えたと言われている。

この石碑はそれから約80年後に建てられている。

入田の里は参拝客や修験者で賑わった事だろう。



農家の中の車道を上っていく。

途中の標識から左へと参拝道に入る。



道端にはキランソウやナガバノタチツボスミレが咲き乱れる。



クサイチゴはもう終わり。

もうすぐ真っ赤な実がなる。

山火事の跡も残っている。



コバノガバズミ?が花を咲かせている。



山里の春は柔らかで美しい



何かのユリかな?

オニタビラコも咲き誇っている。



セイヨウタンポポかな?



山間にヤマツツジの朱が綺麗



道端に老夫婦が休んでいるので、しばらくお話をお聞きする。

昔はこのあたりは「金治(こんじ)地区」と呼ばれ10軒ほどの農家があった。

ここは良い赤土なので美味しい野菜が出来る。

二人で毎日やって来て野菜を作っているが殆ど猿と猪に食べられてしまうと笑っておられた。

建治寺は古いお寺で大日寺奥の院として昔から大勢の参拝者で賑わったそうだ。



別荘のような家もある



途中で焼山寺からの遍路道と出会う。

焼山寺の参拝を終えて大日寺に向かう前に此処まで登ってくるのは大変だったことだろう。



建治寺に向かうと車道脇にはハハコグサが可愛く咲いている



カタバミの黄色もよく目立つ

桜が散り落ちた道を歩いて行く。



一気に景色が開いて建治寺(こんじじ)四国36不動霊場第12番札所に到着

9時41分

途中寄り道してゆっくり歩いて1時間15分ほど。

普通なら1時間以内で着くことだろう。



駐車場から先日歩いた気延山や辰ヶ山そして眉山の山並みがくっきりと見える。



建治寺には県外ナンバーなどの車がビッシリ



朝立彦神社にもあった「徳島毎日新聞」の石柱



本殿横から西竜王山に向かう。



良く整備された山道を10分ほど登ると西竜王山の稜線に到着。



丁度、さくらウォークが開催されていてお年寄りが散策中。

鮮やかなミツバツツジが出迎えてくれた。



早速展望台に上る



鮎喰川の流れが美しい。



西には焼山寺山



ヤマザクラも赤い葉が出始めて綺麗だなあ。



一休みして西竜王山へ



八大龍王社にお参り。

さくらウォークにはボランティアガイドがいて説明をしている。



そのまま東龍王山方向へ進む

トサミヅキはもう花が終わり赤い新芽が出始めていた。



今年もヒメハギが咲き始めている

ドウダンツツジも一面に咲いている



ニオイタチツボスミレも艶やかに咲いている

ヤマモモにも花が..



鮮やかな瑠璃色のホタルカズラが目を引く

この行き止まり方向へ下りると入田に下りることが出来るかも?



こんな所に「蝦尾僧越」の標識が?

至る所にウォーキングコースの標識



お不動尊も祀られている

展望台で一休憩



立派なトイレも設置されていた



ヤブレガサの咲く自然観察路を下りる



真っ赤なアケビの花 白は多いのだけれど?

ゴヨウアケビ( アケビとミツバアケビの自然交雑種)だと蘭ちゃんに教えていただきました。

珍しいようです。

蘭ちゃんありがとうございました。



ミツバツチグリの黄色が鮮やか



ノジスミレやムラサキケマンも道端に咲いている。



ウォークのしんがりを歩く青年はこの公園を管理している森林組合の職員。

自然や山が好きでこの仕事が大好きだと言っていた。

色々なことを感じて身につけて徳島の自然を楽しむことを皆さんに教えてあげてくださいね。

駐車場に来ると素晴らしい桜並木



桜祭りでアイスクリームを買ったり花の苗木を買ったりして楽しむ

上の展望所で昼食

随分とゆっくりとしてまた建治寺に向かう

ミツバツツジが素晴らしい



シハイスミレかな?



ハハコグサとセンボンヤリ



いったん登って建治寺に向かう。

建治寺では大勢の参拝者が読経をあげていた。

この寺は悩みや恨みを持った人達に救いを与えてくれるとかで人気が高い。



建治寺縁起

当寺は白鳳時代天智天皇の頃(661671)役行者(えんのぎょうじゃ)を開基に
、金剛蔵王大権現を御本尊として発祀しました。
弘仁年間(
810824)弘法大師が四国巡礼の折、当山に登り霊験あらたかなその聖地に感じ入り、
修行場所として最適な霊地と逗留されることとなりました。
その修行中、金剛蔵王大権現を感得し自ら御本尊像を彫刻、深く岩窟の奥に安置されました。

 天正年間には阿波藩主蜂須賀公祈願所として栄え、近年では貞阿上人の業績にと今なお脈々と命打っています。
現在、蜂須賀公が刻ませた像を加えて二体の金剛蔵王大権現像が祀られています。




12時42分遍路道を下る。



趣のある遍路道はしっかりとしていてミニ八十八カ所の石仏と弘法大師像が並んでいる。



色々な石像を拝みながら下って行く。

仏様の表情がとても豊かに彫られている



この石仏達は何時頃建造されたのだろうか?

紙屋町三丁目 勝浦屋與兵衛と読み取れる。

紙屋町は広島が有名だが徳島にも昔あった。

徳島駅の東南で現徳島市一番町。

今はNHKが建っている徳島城下の一等地だ。

町の字が面白い。



入田村の車屋茂助さんは人力車屋さんだったのだろうか?

入田には多い植木屋の宮城さんの名も。

大店であれば越後屋とか紀州屋とか屋号があるが此処のお店は村の小さなお店だったのだろう。

入田の車屋さん、植木屋さんで直ぐ解ったのだろう。



米屋千代吉さんの名も見られる。

その昔、この近くで元気に商売をされていた方達が寄進したのかな?

名字が無いので江戸時代だと思われるが、石仏は殆ど風化していない。

良い石を使用している様だ。

昔、高松に住んでいた頃(30年くらい前)標石や石仏を探して歩き回った事がある。

その時はパソコンはあったが記憶装置がカセットで写真などとても記録できなかった。

徳島にはミニ八十八カ所や西国三十三カ所の石仏が何カ所かある。

眉山、大山寺、中津峰山そしてこの建治寺の遍路道ほかにもあるかも知れない。

何時かゆっくりと調べて歩きたい。



古い遍路石もあった。

道端に変な古い標識

迂回路があるらしい。



真っ直ぐ行くと鎖道で滑りやすいと書いてある。

たいしたことないだろうと下りていく。



この判断は間違っていた。

水に濡れた岩は滑りやすく足場が殆ど無く。

顔を引きつらせながら何とか下りることが出来た。

やはり迂回路が正解だった。



長い梯子が岩壁の上へと伸びている。

修行場となっているようだ。



急な岩場を下りていくと建治滝に着く

看板は壊れて読めない



岩に穴が掘られて石仏が祀られている



一旦滝の下に下りていく



建治の滝(こんちのたき)を見上げる。

垂直の岩盤は見事だが滝の水量は少ない



滝の横へと石段を登る。

石が沢山祀られている祠があった。



滝の周辺には見事なヤブツバキの大木



遍路道を下りていくと昔の生活のニオイがする石垣が現れてきた。



可愛いお顔の阿弥陀如来様

滝まで来る人は多いのか道はしっかりとして歩きやすい。



こんな所にムサシアブミ

キンポウゲが増えてくる。



昔はかなり裕福だったような立派な廃屋が残っている。

奥の院の標石を木の幹が抱き込んでいる。



昔の雰囲気が忍ばれる廃屋の壁



廃屋からは舗装路となりやがて車道に出る。

この古い車道はこの先で朝の車道に交わる



やがて民家に出会う。

老夫婦が農作業をしていた。



畑の畦道にはタツナミソウやホタルカズラが群生している。



母親と散歩しているちっちゃな子供が「お気を付けて」と挨拶してくれる。

お遍路さんにいつも会っているのだろう。



ミニ八十八カ所ももう3番まで帰ってきた



一番霊山寺の石仏は立派な祠の中

朝通った郵便局横に出てきた。

14時6分

建治寺から1時間20分ほど

後はのんびり車道歩き。

お遍路さんも大勢歩いている。

建治寺から西龍王山への道はのんびり歩くのにはとても良い道だった。

ここなら年をとっても散策することが出来るかな?



総歩行距離 15.5q

累計標高差 ±750m

今回訪れたのは、四国三十六不動尊霊場第12番札所の大滝山建治寺

実は徳島にはもう一つ別の大滝山建治寺があった。

江戸時代に眉山の中腹にあり三重搭まである大変大きなお寺であった。

明治維新で、蜂須賀家が公式祭祀を神式に改め、藩の保護もなくなり、

さらには寺領も廃止され、明治4年には廃寺となったそうだ。


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